前回の日記を書いた後しばらく考えていて、筆が滑った様な気がするな、と思ったので、ちょっと補足をしようと思う。
昔から、あまりその言葉の意味というか重みを考えずに使う癖があって誤解を与えることがあった。例えば、「あいつは馬鹿だよね。」と言ったときに、何も考えずにまっさらな状態でその台詞を受け止めると、相手を侮蔑している意味として取れる。でも文脈によっては、親しみを込めた、愛情を持った意味に取ることも出来る。その辺は会話の流れや当事者同士の関係性により変わってくるもので、コミュニケーションの濃度が濃い場合にしか成立しない。でもそれはそれで一応成立することなのだけど、こと文字だけになってしまうと、なかなか難しいものになる。
胡散臭い、という言葉は、通常の自分の使い方としては決して悪い意味というわけではないのだけど、普通に考えたらいい意味では使わない。別に曽我部恵一氏を貶めようという気はさらさらなくて、むしろ彼の音楽はけっこう好きな方なので、どちらかといえば親しみを込めて使ったのだけど、ちょっとあの文脈でそうとらえることは難しいな、と考え直した次第である。以上、補足終り。
*
ところで、前から言葉本来の意味以外の意味、付随するイメージといったことについてよく考えている。例えば、「オダ君って暗いよねー」という風にいわれた場合、誉められたとは受け取らない。通常の文脈で考えれば、言う方も言われる方も「暗い」という言葉に肯定的な意味を見出さない。それってどういうことなんだろうか。そんな風に考える様になったのは、『シュルレアリスムとは何か』を読んだのがきっかけで、詳しい内容は割愛するけど、少なくとも欧州では暗いという言葉に否定的な意味合いがこもっていない時代があった。
もしかしたら社会学なんかでそういう研究があるのかも知れない。或いは言語学とか。そういうことを勉強しても面白いかな、なんて思っている。あ、でも社会学ということで考えてもいいかも。ならば〈暗い〉と表現するべきか。〈〉付きの言葉は、ゼミの教授の受け売りで、社会的な意味付けが付与された言葉に用いる用法。
〈暗い〉かどうかは別として、どちらかといえば明るい方ではない。暗いと思う。わざわざ書かんでも知ってるよ、と言われそうだが。どうして暗くなっちゃったのかな、先天的なものだろうか。後天的? 一時期はそういうことについてもイジイジと考えていた時期もあったけど、まあ、仕方ないと割り切った。いまはそういう自分は嫌いではない。
*
学生時代、Sと「音楽とか文学とかに親しむ様な人間はたいてい暗いよね」という様なことを話したことがある。我々は、そのとき「暗い」という言葉を〈暗い〉とは使わなかった筈だ。あの頃はいまより断然暗かったなァ。しみじみ思う。
No comments:
Post a Comment