2011/02/11

姿勢について/HIGHVISION

 この日記を始めて間もないが、少し軌道修正をすることにした。文体、というか言葉遣いを少し変える。
 ウェブ上で日記を書く様になって、なんだかんだと10年くらい経つ。その間、内容には変化があまりない様に思えるのだけど、書き方はけっこう変化している。大学生くらいになってしまえば興味の幅が広がることはあっても、方向性は変わらない。試しに数年前に書いたものを読み返してみると、笑ってしまうくらいに言っていることが変わらない。ただ、言い回し、書き方については別である。失笑だ。稚拙というか、深みに欠けるというか(いま書くものに深みがあるかというと、別の話だけど)、もう少しなんとかならなかったのかなァとも思うが、そのときはそのときで良いと思って書いたのだから、仕方ないかと諦める。赤面はしつつ。

 あるとき、少し重みがほしいと思った。そのときまでは、軽い語り口を好んで使っていたのだけど、ブログが登場して一気に裾野が広がって、ネット上が軽い語り口のもので溢れる様になった。そうなると、途端に嫌になるのが、良くも悪くも自分の質である。何でそんな、メールに書く様な感じで日記を書くんだ、恥はないのか。いったいお前は何様だ、という感じだが、そう思って仕方がなかった。“(笑)”でさえ、抵抗があるのに、絵文字とか、アスキーアート(と言うんですよね、よく知らないのだけど。)を駆使したものを読むにつけ、うんざりした。

 自分の中には保守的な部分とそうでない部分が混在していて、基本的に新しいものについてはやってみようという気持ちが働くが、例えばmixiなんかのSNSとか、TwitterやFacebookなんかも、完全に否定はしないけど、そのあり方には一定の距離を保ちたいと思っている。それはネット上における公私の別という話で、そもそもインターネットは公のもの、社会的なものだという意識がある。プライベートなものではないから、個人的なこと、仲間内でしか通じない様な話題は、さらすべきではないという気持ちがある。
 ただ、会員制のサイトとか、先にあげたSNSなんかは私的な領域を拡大する。友達同士の交換日記めいた文章を多くつくりだす。
 それらが良いか悪いかという話ではなくて、好き嫌いの問題で、自分は好ましいと思わない、という話。

 話は少し逸れてしまったが、重みをつけようとした結果、固くなり過ぎたというか、普段の自分の言い回しからかけ離れてしまった。言文一致ということになると、それこそメール文体めいた感じになり、それは好むところではないけれど、違い過ぎるというのも、違和を感じてしまう。中間をとることは難しい。実際にこの日記を書きながら、全然いままでと変わっていないじゃん、というツッコミを感じるのだけど、そう意識して行動することが大事なのだと自分を鼓舞してみる。

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 昔、SUPERCARというバンドがあった。自分は歌詞をあまり気にしない聴き方をするが、このバンドの歌詞は、なんかいいな、と思って聴いていた。
 作詞の石渡淳治のインタビューは、好んでチェックしていた。『HIGHVISION』というアルバムはそこまで好きなアルバムではないのだけど、その時期の石渡氏の発言は、いいな、と思って読んでいた。高い意思、視線、きれいなものだけを見る。そんなフレーズが多かった気がする。汚いもの、醜いもの、暗いもの、それらは厳然として存在するけど、良い方向を見つめるという姿勢。そういうのを忘れてはいけないな、と思うのだ。

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