2011/04/30

やる気がない/人それぞれのマイウェイ

 中学生から高校生にかけて、X JAPANやhideが好きだった。その頃、叔父と酒を飲みながら「X(JAPAN)はずっと聴き続けると思う。」と言ったら、「そんなことはないんじゃないの。時期によって聴くものは変わると思う。」という返しを受け、ムキになってやり取りをした、なんてことがあったが、大学に入ってしばらくするうち、hideは聴くことはあってもX JAPANについてはあっさり聴かなくなってしまい、そのときのやり取りを思い返して苦笑したことがある。

 ある時期は椎名林檎やSUPERCARなどの日本の若手のロック音楽を聴いていて、ある時期は70年代頃のプログレや前衛ロックを聴いていた。イギリスや、ドイツ。常に、ロックとは何ぞや、なんてことを考えていて、「頭」で聴いていた節もあるけれど、基本的にはロック音楽が好きだということなのだと思う。好き、という言葉が適切かどうかはよくわからないのだけど、ほかに妥当な言葉が見つからないので、こう書く。暇を見つけてはレコード店に通っていた。

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 最近は何もすることがなくて困っている。連休も、どこに行こうという当てもない。友人と会う約束はしたのだけど、せっかくだからどこかに旅行に、という気持ちにもならない。ただこれは世間の自粛ムードとは全然関係なくて、単に無気力ということで、以前からその気はあったが結婚して30代になってますます拍車がかかってしまった。やる気がない。自分のことをこう評したのは友人Sだ。的確です。

 それで、音楽を聴いているのかというと、それも少し停滞気味なのである。家では殆ど何も聴かなくて、通勤の電車の中でiPodで聴くくらい。それも新しいCDを買うことが少なくなってしまったので、持っているものを反復して聴いている。吉井和哉とか、曽我部恵一とか、90年代、まさしく自分が中高生の頃に活躍していた人たちの、いまの音楽を聴いているのだ。もう、30代で、新しい音楽を開拓するというよりは保守路線に傾いてしまうのかな、なんて思うと哀しくなる。が、無理をして出会いを求めるというのも疲れるので、しない。
 そういう流れの中でいま、どうなったのかというと、笑ってしまうがX JAPANをたまに聴く様になってしまったのだ。これには少し自分でも意外なことで、大学の頃は彼らのことを、少し馬鹿にするというか、過去のこととしていたのだけど、いま聴いてみると、分析的に聴くことが出来て、少し面白いのだ。メロディラインとか、アレンジとか、アルバムとしてのバランスとか、当時の自分がどういう風に熱中していたかとか、ヒットした曲としなかった曲の対比とか、いろいろ考えながら聴いてみると興味深く聴ける。

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 世間の方々のことを思うと、すごいなとも思うし、自分が情けなくなることもある。よく、そこまで活発になれるものだな、よくやるなあ、と。自分は自分でいろいろウジウジと考えたりはするものの、面倒だ、という思いから、何もしない。
 まあ、人には人それぞれのマイウェイというものがあるのだ。やる気がない人にはやる気がない人なりのやり方ってものがあるのだ。無理はしない。無理は強要しないでほしい。そう思う休日の午後。

2011/04/23

コミュニケーションをとる/希望の国のエクソダス

 新しい年度が始まり、もうすぐ一ヶ月が経とうとしている。その少し前、3月に大きな地震があって、いろいろなことが変わってしまった。生活環境などもそうだけど、意識のありようもまた、大きく変わった。テレビや新聞、インターネットでも多くの言説を目にした。その中で、何かを考えないことが出来ただろうか。少なくとも自分は、地震について、生活について、考えるということについて、何とはなしに考えていた。この日記にも、少し書いた。
 そういうこともありつつ、しかし地震とは関係なく、仕事は仕事で進行していく。自分の異動はなかったが、新しい人が入ってきた。引き継ぎながら、引き継がれながら、引き続き担当する仕事もこなさなくてはならない。めまぐるしい一ヶ月だったなぁ、と振り返るのである。

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 仕事の根幹をなすものは何か、と考えたときに、コミュニケーションである、と思った。これは普段から漠然と思っていたことではあったのだけど、自分が担当していた仕事を引き継ぎ、また、他の人が担当していた仕事を引き継がれる中で、強く思ったこと。
 就職してから5年が過ぎて、いまの職場に異動して2年が過ぎた。仕事にある程度慣れてくると、暗黙の了解、コードというものが身に付く。コードを有する者同士では、いちいち説明することなく、コミュニケーションが成立することが多くなる。それは仕事をする上では非常に重要なことなのだけど、それには、お互いが共通のコードを有している、という前提が必要となる。仕事の引き継ぎをすると、相手がコードを有していないこともある、というか、コードを有していないことの方が多い、ということを強く意識する。あるいは、限られたコードしか有していないということもある。

 これは仕事に限ったことではなく、日常生活を送る上でもよく踏まえておかなくてはならないことではないか。つまり、相手がどういうコードを持っているのか、持っていないかも知れない、ということを前提として、コミュニケーションを図ること。同じ職場である、同業である、同郷である、同じ国籍を有している……。そういうとき、つい、距離が縮まったと思ってしまう。共通のコードを有していると思ってしまう。でも、そうでないかも知れない。そうでなかったとき、かえって面倒なことになるかも知れない。思い違いや、すれ違いや、衝突が起こるかも知れない。相手を不愉快にさせてしまうかも知れない。自分が日々面倒だなぁと思うことは、そういう摩擦だ。
 でも、いちいち説明を重ねることは、面倒だ。というか、無駄だ。ポイントは、どういうコードを持っているのかを探りながら、状況に応じて変えていく、スムーズなコミュニケーションを図るということなのだと思う。

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『希望の国のエクソダス』という本は村上龍の作品の中で気に入っている部類で、よく読み返す。テーマというか、作者が言いたいことは多岐にわたっているのだけど、自分がこの作品を思うときに思い起こすのは、序盤で、中学生の少年が主人公に対してこんなことを話すシーンだ。
 自分が言いたいことがある、ということを相手に伝える、ということがわかるか。コミュニケーションが成立するのは、そういうことが前提として成り立っているからで、例えばいじめを受けている人は、基本的に相手から無視されているから、伝えたいことがある、というところから始めなくてはならない。
 いま、手元に本がないので詳細は再現できないのだけど、「伝えたいことがある、というところから始めなければならない」ということが、非常に強く心に残った。

 何となくのコミュニケーション、簡潔なそれに抵抗感があるのは、そういうことなんだなぁと、また改めて思ったのである。

2011/04/06

つれづれ/マーラー

 悪態をついたまま、また日記を放置してしまった。
 どうしても感じのいい人になれないものだなァ、と自分の日記を読み返すと実感するが、そういえば、先日、違う部署の人から「あ、オダさんて怖いってウワサの?」と言われた。怖い? いったいどういうことだろう。その人とは直接話したことはなかったので、文字通りそういうウワサが流れているということなのだろうけど、そのルートがわからない。たまに厳しいことを言ったりもするが、職場では感じのいい人を演じているつもりなのに。あるいは、いわゆる「怖い」ではなく、もっと違う意味の「怖い」なのかも。
 まあ、その話はとりあえず置いておくとして、自分の根本は批評……とも言えないレベルの、悪態つき、ということなんだな、ということ、そしてそれはなかなか変わらないんだよな、とシクシク考えた数日だった。

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 変わらない、といえば、相変わらずテレビを見ない。もともと、実家にいる頃もテレビを見る習慣があまりなかった。ついていれば、阿呆の様に口をぽかんと開けて見てしまうが、自分からつけることは殆どない。なんだろう、音楽が聞こえるとなんとなくその音の方に目を向けてしまうのと同じことなのだろうか。テレビって妙な引力があって、見るとはなしに見てしまう。自分のそれは、興味とは別の次元の話で、動物的な反応なのかも知れない。
 それでひとり暮らしの頃は必要性を感じなかったのでテレビは家になかった。2年間のこと。それで不自由はまったくなかったし、「淋しくないの?」という輩には「アンタみたいな淋しい人に、この感覚はわかるまい」と心の中で悪態をついたりもした。イヤな奴だな全く。
 結婚したら相方が持っていたテレビを家に置いたが、これも殆ど見なかった。だいたいニュースかスポーツ。たまにドラマ。W杯と白洲次郎が面白かったことしか記憶にない。

 ところが最近、うちにも地デジとやらが導入された。祖父の誕生日にプレゼントしたものだったのだけど、先日祖父が他界して、まだ充分新しいテレビをどうしよう、という話になり、せっかくだから使わせてもらうましょう、ということになったのだった。
 エコポイントがどうした、とか、アナログが見れなくなる、とかいろいろあって、購入を検討した時期もあったのだけど、まあいっかとなんとなく先送りにしてた矢先の話で、祖父の形見、という意味でも、我が家としては願ったりの形になった。それでたまにテレビをつけてみると、やはりきれいなものだと思う。自然の映像とか。
 でもやっぱり基本はニュースだったりして、地震があって、被災地の様子がこれでもかと液晶の大きい画面に映し出されて……。これは、たしかに小さい子供にはきついものがあるなァと思った。

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 テレビはあっても殆ど見ない。でもそれでは勿体ないし、DVDの機械でも買って映画でも観るかな、と目論んでいる。しかし、予算の関係で目下購入の計画がたたず、本を読んだりしている。
 そろそろクラシックでも勉強しようかな、と何故か吉田秀和の『マーラー』を買ったりした。