2011/12/17

31歳になって/PAST MASTERS


 今月、31歳になった。
 ここ数年は、自分で自分にプレゼントを買ったりとか、休みをとってひとりで過ごしたりとか、誕生日をハレの日と位置づけて過ごすように意識していたのだけど、ことしはそういう風にはしなかった。

 これまでは、おそらく自分の中に20代から30代に近づいていくというある種の高揚感があって、普段とは少し違った風にしてやろう、そんな気持ちでいたのが、30歳を迎えてひと区切りついたのかもしれない。
 昨年は、MacBook Airを買って、カレーを食べて都内を自転車で走り回った。銀座のApple store、幼稚園まで住んでいたところ(アパートは取り壊されていた。)、原美術館、恵比寿ガーデンプレイスのスターバックス。夜、Yと待ち合わせをして、時計を買ってもらった。29歳はけっこうハードな一年だったと記憶しているが、30歳の一年は、そういう初日を過ごせて、非常に充実した日々だったと思う。息子も産まれた。それなりにハードな日々でもあったが、良い日々を過ごせた。
 それで迎えた31歳、何か自分の中で満足してしまったのか、落ち着いた心持ちだった。自分への関心はとりあえずはいいよ、家族へそれを向けよう。そういうことなのかもしれない。

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 アンチエイジング、ということに抵抗感がある。これは以前にも書いたかもしれないが、ことさら自然の流れに反するのは、妙な感じがするのだ。体とか、脳とか、放っておけば衰える。老化を退化と考えるのは難しいところがある。年齢に適正な体、脳、というのがあるのかどうか。脳年齢とか骨の状態とかよく耳にする。そういう科学的? なことはさておくにしても、感覚として、維持しなければならない部分は維持しつつ、しかし過剰に抵抗する、若作り、というのは違うんじゃないのか。
 もしかしたら、男性だから、ということかもしれない。またこんなこと書くとジェンダーがどうとか、オダ君らしくないんじゃない? なんて言われるかもしれないけど、あえてこういう書き方をしてみる。やはり女性にそういう向きが多いというのは否定できない。後は、既婚者とか、子供がいるとか、そういう人と、独身、子供がいない人と、少し感触が違う。
 考え方、感じ方は人それぞれだから別にいいけど、やはり20代の頃の体力と、30代に入ったいまとでは、違うものがある。極端に衰えないようにはしたいとは思うが、受け入れるところは受け入れないと、いけないのではないか。人生は待ってはくれないのだ。
 というわけで、無理のない、ということをキーワードに30代は過ごしたいな、と思っている。似たようなことをずっと言っている気もする。

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 The Beatlesを聴くようになるなんて、昔は考えたこともなかった。そのうち、ジャズとかクラシックとかにどっぷりと浸かるようになることも、あるのかもしれないね。

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