2011/08/27

書かなかったことについて書くのは/小説の誕生


 ちょっとまた忙しくなったりして、というか余裕をなくしていたということなのかもしれないけど、しばらく日記から遠ざかっていた。いまは、と言えば、一時期よりは落ち着いたのだけど、それでもこの30年間の中で見ると忙しい方である。本当は日記なんて書いている場合ではないのかもしれない。でも、「あ、そういえば書いてないじゃん。」と気付いてしまって、気付いたらなんだか書かずにはいられなくなってしまった。
 それで、何を書こうか、書かなかったことを書こうか、と思うのだけど、たいてい自分は日記の更新の間に時間が経っていると、これこれこういう理由で書かなかった、とか、書かなかったのはこういうことで、などと小理屈を付けたがる。そういうことを考えるのは嫌いではないし、書くとすっきりするのだけど、読み手の側に立ってみると、鬱陶しくて仕方がないのではないか。一度や二度くらいならともかく、「ああ、また言い訳してらあ。」などと思うだろう。
 実際にそう思う人がどれくらいいるかは分からないけど、自分はいま、そういう風に思った。思った自分を偽ってはいけない。言い訳は、もうやめよう。

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 一ヶ月ぶりに書く日記で、これまで期間が開いてしまった理由(=言い訳)を書かないとなると、どういう話題が適当なのだろうか。

「最近は、人間関係の煩わしさを考えている。」

 そんなことを書いてしまっていいのだろうか。いいも悪いも、これはあなたの日記でしょう、とささやく自分がいる。しかし、読み手の立場っていうのも考えないとね。そんなこと書くと、不快にさせちゃうんじゃないの? そう言う自分もいる。いや、それは読み手の立場を考えているように見せかけて、結局は、読み手からどう見られているか、ということを考えているんだろう、つまり、自分がどう見られているのかを気にしているだけなんだよ。そう断言する自分もいる。もう、何がなんだか分からない。
 確かに、人からどう見られているか、ということは気にしているのだろう。「人間関係の煩わしさ」というのも、或いはその辺りのことと連関があるかもしれない。と、強引に話をつなげてしまったので、このまま続ける。
 人は、社会生活を営むにあたって、多かれ少なかれ、役割を演じる。意識するしないに拘らず、自分の振る舞いを自分でプロデュースする。そこで完結するのなら分かりやすい話なのだろうけど、社会生活なのだから、完結するわけがない。関係性が生まれ、複雑になる。自分がこう振る舞ったら、相手がこう反応するだろう、そうしたら次は自分はこうして、と、相手への期待が生じるのだ。
 そういうのが得意な人もいるのだろう。演じて、期待して、さらに演じて。でも、自分なんかは人からよく思われたい気持ちもあるが、面倒くさがりでもあるから、期待されていることを感じてしまうと、途端に嫌になる。ここで打ち止めでいいよ、面倒だから。そんな風に思ってしまう。期待しないでいいからさ。
 もっとこう、フラットな関係性はつくれないものだろうか。裏読みしたり、先の先を考えたり。そういうことじゃなくて、もっとフラットな。

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 思考することからも遠ざかっていた。もっと腰を据えて考えなきゃならない。友人Sを見習って、もっと思考するのだ。

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