2011/05/07

刀/I LOVE HONZI

 部屋の片付けをしていて、古いアルバムが見つかった。幼少の頃の写真。自分で言うのは甚だ寒いのだけど、子供の頃の自分は女の子に間違われることが多く、確かにかわいい。いまはただのおじさんになってしまったが。それで、今回も同様に「子供の頃はかわいかったんだがなぁ。」なんて言いながらYとアルバムをめくっていたら、「でも、なんかニヒルというか、ちょっと陰のある笑い顔が多いね。」と言われた。陰? そういわれると、確かにそんな風にも見える。
 また、いまでは全然そんなことはないのだが、内気というか内向的な性分で、目立つことは嫌いだし、注目されるとカーッと赤くなって俯いてしまう様な小学生だった。外で走り回るより、家で本を読んでいる法が好きだった時期もあった。(それはいまでも変わらないが)。
 その片鱗は、子供の頃からあったのだろうか。

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 以前、別の場でも書いたのだけど、友人と話をしていて、ダークサイド、という話題になったことがある。要するに、自分の中には暗い部分、ダークな面があるよね、という話で、Sと自分だけがその話題で盛り上がり、ほかの友人はポカンとしていた。
 暗いとかダークという単語になると、あまり良い響きは持たない。でもそのときはそういう展開にはならず、何というか、単にそういうこと、そういう状態だ、というニュートラルな視点。青い、赤い、黄色い、とか、右と左、ということと同じで、明るいとか暗いということを見つめる。そのこと自体はいいとか悪いとかじゃない。もしかしたら記憶が混濁していて、ニュアンスがねじ曲がっている可能性もなくはないのだけど、そんな内容だったと記憶している。そして今でもそれはそうだろう、と思っている。

 ただ、他の友人たちの様にポカンとしてしまう感覚もわかる。わかるというか、それが当たり前の感覚なのだろう。ニヒルな笑いは、ときに人を不快にさせる。批判的な意見は、ときに人をいら立たせる。そのことを踏まえていないとコミュニケーションも何もないのに、時々自分はそれを忘れてしまう。うっかり、無防備にそれを出してしまう。

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 また、こんな風に書くのは寒い感じもあるが、自分の感覚は刀の様なものだと最近思っている。初めはナマクラだった。でも、鈍器として使うことも出来た。人を傷つけるときは鈍いダメージを与えた。決して鮮やかではない。それで、そのうちその刀を研いできれいにすることに夢中になった。
 もしかしたらペーパーナイフの様なものかも知れないけど、いまではある程度スパッと斬れるくらいまでにはなったと思う。でも自分はそれを人に向けて使いたいのではなくて、何と言うか、単にきれいに仕上げたかっただけなのだ。でも、ときには人に向けざるを得ないこともあるし、思いがけず斬ってしまうこともある。それは本意ではない。
 自分をコントロール、ということも以前書いた。コントロールしないといけない。自覚して、その刀を使っていかなくてはならない。そんな風に思う。

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