2011/10/09

能動性を取り戻せ/The Velvet Underground


 久しぶりに体調を崩した。いや、久しぶりというほどのことでもないかもしれないけど、どうもそんな気がする。都合の悪いことは忘れる。近く崩したことがあるかもしれないが、遠い昔のことと思う。
 最近は、まず喉に来る。次に鼻水、咳、最後に熱。熱はいったん引いてもぶり返すこともあるから、油断できない。年齢、ということなのかもしれないけど、年齢のせいにする前に己の生活を見直すことが大事。昔は風邪なんてひかなかった、というのは簡単だけど、運動もしてたし休息も取れていた。栄養バランスも、まあ実家にいた頃は少なくともばっちりとれていたはずだ。免疫とか、抵抗力とか。
 いろいろなことが曲がり角だ。見直す必要がある。


 Sさんと、音楽を聴かなくなった、という話をした。iPod touchで聴くには聴いているが、それは「聴く」ということとは、些か異なるように思う。
 K夫妻からDIATONEのスピーカーを譲り受け、Luxmanのプレーヤーとアンプを買って、小さなステレオ環境を作った。プラグとか電源とか、配置とか、こだわればいくらでもこだわることができるのがステレオ世界の怖い罠で、どの辺まで、というのがよくわからないが、とりあえずそういうことは抜きにして、セットした。それだけでもずいぶん違うと思った。お金をかければいいというものではないが、何かをするためには、ある程度の投資というか、対価を支払う必要があると思う。身体感覚とでもいうか、「身銭を切る」とはよく言ったもので、痛みを伴わない行動は、自分の中で軽いものになってしまう。
 お金の話は今回の話題とは直接関係ないのに書いてしまった。お金については少し前にも自転車の話の中で、触れた。こういうところが、良くも悪くも自分の特徴で、思いつくままに書いたり話したりしてしまうから、飛躍がある。あるいは脱線する。
 話を戻すと、iPodだ。iPodだとシャッフルの機能がついているからいいと思う。それなりの容量があるから、適当に曲を詰め込んで、シャッフルさせてランダムに聴く。でもそれは、能動的に見えて受動的だ。音楽を聴く、ということは、能動的であるということだと思っている。本を読む、映画を観るのに、受動的にはやりづらい。というか、能動的でないと、流れていってしまうだけだ。音楽も同様のことと思う。だから、垂れ流す聴き方ならiPodは便利なのだけど、ちゃんと聴くにはミスキャストだ。
 それでいいときもあるのだけど、自分を甘やかしている感じがするのである。


 体調は崩してしまったが、時間ができた。料理なんかして、ステレオで音楽なんか聴いて、ゆっくり何かを考える。カメラを買ったので、研究してみるのもいいかもしれない。

2011/10/01

片付けたり/ダカフェ日記


 今日は10月1日、都民の日だ。都民の日、なんて言ったって都民じゃない人には関係ない話だろうし、もしかしたら「何それ?」なんてことになるかもしれない。では、都民である自分にとっては、それはどういうことかというと、やっぱりあまり関係ない話なのだった。
 10月1日が自分にとって意義のある日だったことは、もしかしたら中学時代くらいまでさかのぼるしかないのかもしれない。或いは、高校の頃? 高校は都立の高校に通っていたので、もしかしたらその日は休みの日だったのかもしれないが、いずれにしても、就職して働きだしてからは全然関係ない一日になってしまった。しかし子供がいると、その子が入学したら、休みを取ってどこか旅行に行くとか、そういう日になっていくのかもしれないな。


 都民の日、ということとはまったく関係ないのだけど、今日はやることが詰まっている。やることがない日はここ数週間の間には全然なくて、職場にちょろっと行ったり、都心まで買い物に行ったり、実家に帰ったり、Yの実家に行ったり、部屋を片付けたり部屋を片付けたり部屋を片付けたり。今日もやっぱり部屋を片付けなくてはならないのだ。いよいよ後がない。
 それなのに、日記なんか書いていていいんかな? という気持ちはあるのだけど、こういうときこそ落ち着いて、日記だ。
 思えば自分の日記の歴史も長い。ウェブ上で日記を書くようになって、10年くらいだろうか。この前Sさんとも話をしたのだけど、書く場所はちょこちょこと変わっていて、変えた理由は、そこのサービスが終ってしまったり、リニューアルしてデザインが気に入らなくなったり、単純に、変えたくなって変えたり。それでも飽きっぽい自分がここまで続けてきたのは、単なる自分だけの日記ってことではなくて、誰かに読まれて、ときにはリアクションがある、ということの面白さによる。だから手書きの、ノートに書くような日記は続かないし、昔書いたものを読み返すとあまりの客観性のなさに、憤死しそうになる。どこまで行っても自分自分自分、なんだもの。かといってウェブ上の日記は客観性を持ち得ているのか? という問いには、「残念ながら、まだまだです」と答えざるを得ない。まあ所詮はアマチュアの日記なんだけども、もっとこう、志を高く持っていたいものだ。

 新聞を読んで、片付けをして、ごみをまとめて。掃除機かけて。ぞうきんかけて。ただ当たり前にやろうとすればやれるはずのことを、後回しにして週末や月末や特定の日にまで引っ張ってしまうのは悪い癖だ。T氏の日記に、早起きをして片付けをして、みたいなことが書いてあって、彼と自分は全然違うタイプだけど何か通ずるところもあって、見習いたいことは多くある。で、よく、「自分にはできないなー」なんて言って逃げちゃう人がいるけど、おそらく自分にもそういう傾向はあるのだけど、そういうのは恰好悪いな、と思うようになった。恰好のいい悪いの問題ではないのかもしれないが、多分だいたいのことは、できない、ということはない。何も100メートルを10秒で走るとか、英語でビジネスに臨むとか、そもそものスキルを問われているわけではなくて、朝の時間に部屋を片付けるとか新聞を読むとかは、気の持ちようだ。実際、久しぶりに弁当を作ってみて、ああ意外にできるもんだなぁと気持ちを強くした。
 というわけで、これからは少しずつ実践に移していきたいのだけど、とりあえず、今日だ。
 天気がいいのでとっと終らせて、自転車に乗りたい。