2011/09/25

料理をしていない/INLAND EMPIRE


 実家には26歳まで住んでいた。と書いて、本当に26歳まで住んでいたのか不安になった。
 就職していろいろな人と出会って、その人が誰と同期なのか、とわかっていると覚えやすいということもあって、「何年目ですか?」と訊くようになったのだけど、「あれ、オレ何年目だっけ?」と言う人が多くて驚いた記憶がある。でも、自分もだんだんと「あれ、オレはいま、就職して何年目だっけか?」と思うことが多くなり、記憶力ということもあるのだろうけど、何というか、いろいろなことがどうでもよくなってくる、ということなのかもしれない。憶えていなければいけないこと、憶えておくべきことを取捨選択する。すると、どうでもいい、と思えることが、存外、多い。
 それで、ひいふうみい、と数えて、確かに26歳まで実家にいたのだと思い出した。それから2年ほどひとり暮らしをして、結婚した。結婚して3年目で、ことしの誕生日で31歳になる。あっという間だ。
 実家にいた頃は、早く家を出たくて仕方がなかった。理由は、こう書いてしまうとひどく凡庸に響くが、自分でいろいろなことを決めたくなったのだ。自由が欲しい、ということもあったのだろうけど、それ以上に責任を持ちたかった。だから、結婚して、よく「自由がなくなるんじゃないの?」なんて結婚懐疑論者の人から言われることがあるけど、自分にとっては別にそんなことは大して重要じゃなくて、確かに自由度は減るかもしれないけど、責任はある意味においてはひとり暮らしの頃以上に重くなるので、そう考えると結婚生活は楽しい。

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 この前の後輩の結婚式のあとに、何人かと二次会に行った。そこで、ひとり暮らしだと、自炊をしない方がリーズナブルだという話があった。コストという観点からすればそうなのかもしれない。でも、それって楽しいのだろうか。彩り、栄養、料理の中身についてはもちろん、食材の調達から調理から片付けまで、考えることは多い。それを組み立てる、というのは、生活の組み立て、の縮図とも思える。だから、コスト、ということだけで料理をしないというのは、なんだか自分にとってはひどくつまらない。
 でも、最近、あまり料理ができていない。Yが実家に帰っていて、いまは実質ひとり暮らしのようなもの。でも自分もYの実家で食べさせてもらうことが多く、そうすると台所から遠ざかってしまう。料理をしないと楽かもしれない。でも、つまらない。

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 David Lynchの映画は難解だと言われるが、そうだろうか。解釈しようとすると、難解、ということになってしまうのかもしれないが、絵画を観るようにして観ると、また、音楽を聴くようにして観ると、そうは思わないんじゃないだろうか。
『INLAND EMPIRE』を観て、思索に耽る。傍らには珈琲。

2011/09/24

ロード/磯江毅=グスタボ・イソエ マドリード・リアリズムの異才


 S氏に「最近どう? ブログ読んでるとストレスたまってるように見えるんだけど?」と言われ、ハッとしていくつか前までさかのぼって読んでみたら、確かに心配されても仕方ない様子だ。特に何があったわけではない……とは、書かない。現代社会を生きるにあたって、ストレスは全くありません、たまりません、なんて言えるとはさすがに思っていない。多かれ少なかれ、何らかの形でストレスは受けるしたまっていく。ただ、それをうまく逃がすとか、なるべく表に出さないようにすることが好ましいとは常々思っているので、意識しないところで他者にそれを感じ取られてしまうというのは、不本意というか、まずいレベルに達していたな、というところだ。
 元々、テンションは低い方だ。根が暗いというか。だから、書く文章もふっと気を抜くと低い方、低い方へと引っ張られてしまう。それが味になる場合もあるのだけど、ストレスがひどい状態のときは相乗効果で、まずい低さを表出してしまう。その辺は、これからの課題なのかもしれない。職場でも「大丈夫?」なんて訊かれてしまう始末。「大丈夫じゃないですよー。」なんて言う顔の目は、笑っていない。これはまずい。
 まあ、この間、いろいろあった。仕事は仕事で相変わらず忙しいし、8月には家族も増えた。後輩の結婚式にも出た。仕事があるということはいいことだし、家族が増えることや結婚式なんかは、喜ばしいことだ。ただ、もちろん物事はそう単純な話ではない。単純ではないのだけど、その単純でなさを、単純に表に出してしまうことのまずさ。そんなことを、この数日を振り返ってみて、考えたのだった。

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 一日一日の暑さは去年ほどではないにしても、なんだかだらだらと暑さの残る夏だった。それもここ数日で、だいぶ和らいだ。というか、急に涼しくなった。もう秋なんだ。今日は空気がぴりっとしていて、晴れている。こんな日はロードバイクにでもまたがって、どこかに出かけたくなる。
 後輩の結婚式で、久しぶりに会った友人に問われた。「たかだか自転車に20万も出すなんて気が知れない。よっぽど稼いでんだね。」酔っていなければ、あれこれ理屈を付けて説き伏せたのだろうけど、そのときはそういう状態じゃなかったので、「まあ、人生の何にプライオリティを置くかってのは人それぞれだからね。うん。」なんて言って済ませた。
 乗ってみればわかるのだが、いい自転車はいい。所有欲からくる満足感がないとは言わないけど、きちんとつくられたものに対して、相応の対価は支払わなくてはならない。Tシャツが千円もかからないで買えてしまったり、ブランドのロゴが入ったペラペラのシャツが数万円したり、はたしていまつけられている値段そのものは適切なのか? という疑問が生じるとしても、本人が一応納得した上で購入するのであれば、それは適正な価格なのだ。1万円もしないで買える自転車に、20数万円? いいじゃないか。そもそも、数千円の自転車と、ロードバイクは別物なのだ。
 ただ、ロングライドは未だにしたことがなくて、もっぱら1時間もかからない範囲でのロードライフだ。近所の美術館とか、そういう乗り方は少しもったいないかな、と思わないでもない。