疲れたとか忙しいとか、泣き言めいたことを日記に書くのは良くないな、と思ってはいるのに、つい気が緩むと、そういうことを書いてしまう。昔からの悪い癖だ。
考えすぎて、考えずにそんな風になってしまうのかな、ということを思った。
どうしても理念先行、というと恰好よく聞こえるかもしれないが、要は理屈を付けるのが好きで、あーだこーだと考えて、疲れて弱音を吐いてしまう。もっと気楽にやればいいのに、軽やかに書いた方が読んでる人も気が楽だぜ、そんなことも思う。
短くてもいいだろう。(元々ないけど、)起承転結がなくてもいいだろう。とりあえず、書いてみよう。
2011/05/28
2011/05/21
加齢?/若き芸術家たちへ
自己啓発書だとかビジネス書の類いには全く興味がないし、そもそも仕事で自分を高めるとか、厳しい環境に身を置いて、なんていう高い志は全く持ち合わせていなかった。自分の生活が最優先で、楽しく働ければそれでオーケー、そんな構え。しかしどんなことでもそうなのだろうが、いいときもあれば悪いときもある。順調なときもあれば不調なときもある。きつい時期もあったけど、それなりに楽しくやってこれたたのも事実で、そもそも自分は物事を途中で投げ出す様な性格ではない。客観視も、それなりに出来るつもりだし、いまの仕事は自分のみの丈に十分合っている、そんな風に捉えていた。
しかし、現在。30歳と5ヶ月。どう考えても自分のキャパシティを超える仕事量について、どう携わっていくべきか、なんてことを改めて考えた。いまのやり方では、ちょっとこなせない。こなせたとしても、それは生活に影響してくる。なんせ朝、起きられない。大して酒も飲んでいないのに、金曜の午後なんて眠気か疲労か、動きが急激に鈍くなる。
また、妙なタイミングもあったものだと思うけど、先日の職場の飲み会で、先輩にこんなことを言われた。
「オダ君がどうって話じゃなくて、普通に思うんだけど、残業するやつって日中、大してまじめにやってないんじゃないかなって思うんだよ。俺は子供と遊びたいからさ、時間内で終る様に、必死にやってるよ。効率化も進めたしさ、ただ、評価されないけどね。残業してりゃ偉いって変な風潮だよな。」
お酒の席だし、どんなに一生懸命やったって終らないだけの仕事量が振られてる、ってこともあるんじゃないですか? なんて内心思ったのは事実だけど、一方で、確かに自分は日中一生懸命やってるかな? なんて考えると、立ち止まってしまう。無駄なく全力で、とは到底言えない仕事ぶりだ。隣の席の人と馬鹿話もするし、無駄な作業もよくやってると思う。全部が全部無駄ではなくて、むしろ必要悪というか、そういう面もあると思う。でも、全部が全部必要なわけじゃなくて、勿論無駄な部分もある。ちゃんと向き合えば、もっと残業時間だって減らせるだろう。
最近の自分の生活リズムと、先輩の話が相まって、すぐ本に向かうかどうかは別として、仕事のやり方について考え直さないといけないなぁと思った。
*
この4月から3歳年下の女の子が異動してきて、隣の席で引き継いだり仕事を教えたりしている。たかだか3歳しか違わないのに、何か大きなジェネレーションギャップを感じる。向こうが若いのか、自分がおじさんなのか。
「最近、肩が異常に凝るんだよね。」
「えーあたしも異動してきてヤバいんですよ。運動不足っていうか。また走ろうかな、って思うんですけど。」
「走る?」
「え、ちょっと前に流行ってたじゃないですか。でもいま放射能とかあってやめとこうかな、って走るの自粛してるんですけど。」
走るのが流行ってたってことも知らないし、放射能を気にして、走るのを自粛する、って感覚も面白いなと思った。まあ、それでどうこうってことでもないけど、若者はわからない、なんて話につなげることは避けたい。それこそ精神の加齢。
*
本を読んで頭を休める、ということより、本を読んで頭をストレッチ、という考え方をしていたい。
しかし、現在。30歳と5ヶ月。どう考えても自分のキャパシティを超える仕事量について、どう携わっていくべきか、なんてことを改めて考えた。いまのやり方では、ちょっとこなせない。こなせたとしても、それは生活に影響してくる。なんせ朝、起きられない。大して酒も飲んでいないのに、金曜の午後なんて眠気か疲労か、動きが急激に鈍くなる。
また、妙なタイミングもあったものだと思うけど、先日の職場の飲み会で、先輩にこんなことを言われた。
「オダ君がどうって話じゃなくて、普通に思うんだけど、残業するやつって日中、大してまじめにやってないんじゃないかなって思うんだよ。俺は子供と遊びたいからさ、時間内で終る様に、必死にやってるよ。効率化も進めたしさ、ただ、評価されないけどね。残業してりゃ偉いって変な風潮だよな。」
お酒の席だし、どんなに一生懸命やったって終らないだけの仕事量が振られてる、ってこともあるんじゃないですか? なんて内心思ったのは事実だけど、一方で、確かに自分は日中一生懸命やってるかな? なんて考えると、立ち止まってしまう。無駄なく全力で、とは到底言えない仕事ぶりだ。隣の席の人と馬鹿話もするし、無駄な作業もよくやってると思う。全部が全部無駄ではなくて、むしろ必要悪というか、そういう面もあると思う。でも、全部が全部必要なわけじゃなくて、勿論無駄な部分もある。ちゃんと向き合えば、もっと残業時間だって減らせるだろう。
最近の自分の生活リズムと、先輩の話が相まって、すぐ本に向かうかどうかは別として、仕事のやり方について考え直さないといけないなぁと思った。
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この4月から3歳年下の女の子が異動してきて、隣の席で引き継いだり仕事を教えたりしている。たかだか3歳しか違わないのに、何か大きなジェネレーションギャップを感じる。向こうが若いのか、自分がおじさんなのか。
「最近、肩が異常に凝るんだよね。」
「えーあたしも異動してきてヤバいんですよ。運動不足っていうか。また走ろうかな、って思うんですけど。」
「走る?」
「え、ちょっと前に流行ってたじゃないですか。でもいま放射能とかあってやめとこうかな、って走るの自粛してるんですけど。」
走るのが流行ってたってことも知らないし、放射能を気にして、走るのを自粛する、って感覚も面白いなと思った。まあ、それでどうこうってことでもないけど、若者はわからない、なんて話につなげることは避けたい。それこそ精神の加齢。
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本を読んで頭を休める、ということより、本を読んで頭をストレッチ、という考え方をしていたい。
2011/05/07
刀/I LOVE HONZI
部屋の片付けをしていて、古いアルバムが見つかった。幼少の頃の写真。自分で言うのは甚だ寒いのだけど、子供の頃の自分は女の子に間違われることが多く、確かにかわいい。いまはただのおじさんになってしまったが。それで、今回も同様に「子供の頃はかわいかったんだがなぁ。」なんて言いながらYとアルバムをめくっていたら、「でも、なんかニヒルというか、ちょっと陰のある笑い顔が多いね。」と言われた。陰? そういわれると、確かにそんな風にも見える。
また、いまでは全然そんなことはないのだが、内気というか内向的な性分で、目立つことは嫌いだし、注目されるとカーッと赤くなって俯いてしまう様な小学生だった。外で走り回るより、家で本を読んでいる法が好きだった時期もあった。(それはいまでも変わらないが)。
その片鱗は、子供の頃からあったのだろうか。
*
以前、別の場でも書いたのだけど、友人と話をしていて、ダークサイド、という話題になったことがある。要するに、自分の中には暗い部分、ダークな面があるよね、という話で、Sと自分だけがその話題で盛り上がり、ほかの友人はポカンとしていた。
暗いとかダークという単語になると、あまり良い響きは持たない。でもそのときはそういう展開にはならず、何というか、単にそういうこと、そういう状態だ、というニュートラルな視点。青い、赤い、黄色い、とか、右と左、ということと同じで、明るいとか暗いということを見つめる。そのこと自体はいいとか悪いとかじゃない。もしかしたら記憶が混濁していて、ニュアンスがねじ曲がっている可能性もなくはないのだけど、そんな内容だったと記憶している。そして今でもそれはそうだろう、と思っている。
ただ、他の友人たちの様にポカンとしてしまう感覚もわかる。わかるというか、それが当たり前の感覚なのだろう。ニヒルな笑いは、ときに人を不快にさせる。批判的な意見は、ときに人をいら立たせる。そのことを踏まえていないとコミュニケーションも何もないのに、時々自分はそれを忘れてしまう。うっかり、無防備にそれを出してしまう。
*
また、こんな風に書くのは寒い感じもあるが、自分の感覚は刀の様なものだと最近思っている。初めはナマクラだった。でも、鈍器として使うことも出来た。人を傷つけるときは鈍いダメージを与えた。決して鮮やかではない。それで、そのうちその刀を研いできれいにすることに夢中になった。
もしかしたらペーパーナイフの様なものかも知れないけど、いまではある程度スパッと斬れるくらいまでにはなったと思う。でも自分はそれを人に向けて使いたいのではなくて、何と言うか、単にきれいに仕上げたかっただけなのだ。でも、ときには人に向けざるを得ないこともあるし、思いがけず斬ってしまうこともある。それは本意ではない。
自分をコントロール、ということも以前書いた。コントロールしないといけない。自覚して、その刀を使っていかなくてはならない。そんな風に思う。
また、いまでは全然そんなことはないのだが、内気というか内向的な性分で、目立つことは嫌いだし、注目されるとカーッと赤くなって俯いてしまう様な小学生だった。外で走り回るより、家で本を読んでいる法が好きだった時期もあった。(それはいまでも変わらないが)。
その片鱗は、子供の頃からあったのだろうか。
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以前、別の場でも書いたのだけど、友人と話をしていて、ダークサイド、という話題になったことがある。要するに、自分の中には暗い部分、ダークな面があるよね、という話で、Sと自分だけがその話題で盛り上がり、ほかの友人はポカンとしていた。
暗いとかダークという単語になると、あまり良い響きは持たない。でもそのときはそういう展開にはならず、何というか、単にそういうこと、そういう状態だ、というニュートラルな視点。青い、赤い、黄色い、とか、右と左、ということと同じで、明るいとか暗いということを見つめる。そのこと自体はいいとか悪いとかじゃない。もしかしたら記憶が混濁していて、ニュアンスがねじ曲がっている可能性もなくはないのだけど、そんな内容だったと記憶している。そして今でもそれはそうだろう、と思っている。
ただ、他の友人たちの様にポカンとしてしまう感覚もわかる。わかるというか、それが当たり前の感覚なのだろう。ニヒルな笑いは、ときに人を不快にさせる。批判的な意見は、ときに人をいら立たせる。そのことを踏まえていないとコミュニケーションも何もないのに、時々自分はそれを忘れてしまう。うっかり、無防備にそれを出してしまう。
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また、こんな風に書くのは寒い感じもあるが、自分の感覚は刀の様なものだと最近思っている。初めはナマクラだった。でも、鈍器として使うことも出来た。人を傷つけるときは鈍いダメージを与えた。決して鮮やかではない。それで、そのうちその刀を研いできれいにすることに夢中になった。
もしかしたらペーパーナイフの様なものかも知れないけど、いまではある程度スパッと斬れるくらいまでにはなったと思う。でも自分はそれを人に向けて使いたいのではなくて、何と言うか、単にきれいに仕上げたかっただけなのだ。でも、ときには人に向けざるを得ないこともあるし、思いがけず斬ってしまうこともある。それは本意ではない。
自分をコントロール、ということも以前書いた。コントロールしないといけない。自覚して、その刀を使っていかなくてはならない。そんな風に思う。
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