2011/07/29

言葉にしづらさ/あぜ道のダンディ

 大掃除の時期でもないのだけど、本を100冊ほど処分した。殆どが文庫本で、未読のものも多かったが、おそらく今後も読むことはあるまい、と思って、手放すことにした。
 もともと収集癖のようなものはあったのだが、執着心は少ない。溜まるのはアッという間だが、決めたら手放すことも早い。だったら初めから買わなければいいんじゃないかとか、熟考して買えばいいのにとも思うのだけど、たぶん、買う、ということ、所有する、という過程が大事だったのだ。買うまでのプロセスを経ることが大事で、一定の期間の経過により、その意義は達成された。さようなら、私の本よ。

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 ところでこの前、久しぶりに映画館で映画を観たのだけど、映画館で映画を観る、というのは、何か不思議な体験だなぁと思った。すこし前ならそんな風には思わなかったのだろうけど、いまや映画はダウンロードして自宅で観ることのできる時代。あるいはスマートフォンで。それが、わざわざ映画館に足を運んで数時間。「どうしてそんな不便なことを?」と問われたとして、そう訊ねる人にうまく答えられる自信はない。
 映画自体は非常に面白く、同年代の監督がこういった作品を撮るということに感銘を受けたし、焦りも覚えた。ストーリーや、その他のディテールなんかについて、考えることも多い。
 でも、そういうこととは別に、映画館で映画を観る、ということを客観的に考えると、実に不思議だな、と思うのだ。
 ただ、その不思議さは、どうにも言葉にしづらい不思議さだ。言葉にしづらい、ということを表明するのは、勇気がいる。

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 感情を表現できないもどかしさや、何かに苛立つことなど、かつて感じたことのない変化を感じるようになった。それを表すのに、老化、あるいは退化? という以外に言葉を知らないのだけど、受け入れられるようにはなったので、それはそれで進歩なのかもしれない。
 立ち止まることは避けつつ、折り合いをつけなくてはならないことも、あるだろう。